大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 昭和56年(ワ)353号 判決 1988年1月26日

原告 甲野一郎

法定代理人親権者父 甲野太郎

同母 甲野花子

<ほか二名>

三名訴訟代理人弁護士 柏木秀夫

同 板垣光繁

同 田辺幸雄

被告 髙橋昭

訴訟代理人弁護士 岡部文彦

同 田中一誠

同 高山光司

同 本木陸夫

同(復代理人) 菊池善十郎

被告 同和火災海上保険株式会社

代表者代表取締役 辻野知宜

訴訟代理人弁護士 芥川基

主文

一  被告髙橋昭は原告甲野一郎に対し金五一八七万七五〇〇円及び内金五〇七七万七五〇〇円に対する昭和五二年四月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告髙橋昭は原告甲野花子に対し金一〇〇二万六九九三円及び内金九二二万六九九三円に対する昭和五六年五月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告髙橋昭は原告甲野太郎に対し金三三〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和五六年五月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告同和火災海上保険株式会社は原告甲野一郎に対し金一五〇〇万円及びこれに対する昭和五六年五月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

五  原告甲野一郎、原告甲野花子及び原告甲野太郎の被告髙橋昭に対するその余の請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は原告三名と被告髙橋昭との間においては、原告三名に生じた費用の二分の一を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告甲野一郎と被告同和火災海上保険株式会社との間においては全部同被告の負担とする。

七  この判決の第一項ないし第四項はいずれも仮に執行することができる。

事実

第一申立て

一  原告ら

1  被告髙橋昭は原告甲野一郎に対し金一億〇七五〇万〇三八九円及び内金一億〇六四〇万〇三八九円に対する昭和五二年四月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告髙橋昭は原告甲野花子に対し金一二九八万七六五一円及び内金一二一八万七六五一円に対する昭和五六年五月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告髙橋昭は原告甲野太郎に対し金三四〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和五六年五月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4  主文第四項と同旨

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

6  1ないし4について仮執行の宣言

二  被告髙橋昭

1  原告三名の被告髙橋昭に対する請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告三名の負担とする。

三  被告同和火災海上保険株式会社

1  原告甲野一郎の被告同和火災海上保険株式会社に対する請求を棄却する。

2  訴訟費用は同原告の負担とする。

第二主張

一  原告らの請求原因

1  昭和五二年四月二日午後五時二〇分ころ、千葉市若松町四一六番地先路上において、被告髙橋昭運転の普通乗用自動車(以下「被告車」という。)が千葉市都賀方面から国道五一号線方面へ向け走行中、ハンドル操作を誤って、道路右側を被告車と対向して歩行していた原告甲野花子(同人は在胎三二週の原告甲野一郎を懐胎していた。)に正面から衝突した(以下この事故を「本件事故」という。)。

2  原告花子は、本件事故によって、左大腿骨々折、骨盤骨々折、左膝関節部骨折、恥骨々折等の傷害を負い、次のとおり入院又は通院して治療を受けた。

(一) 千葉大学医学部附属病院(以下「付属病院」という。)

昭和五二年四月二日から五月八日まで三七日入院

同年五月九日から八月一六日までの間に七日通院

同年八月一七日から九月一三日まで二八日入院

同年九月一四日から昭和五四年四月二一日までの間に五八日通院

(二) 斉藤治療院

昭和五二年五月一〇日から昭和五三年七月三一日までの間に一五四日往診

同年八月一日から一二月三一日までの間に六二日通院

昭和五四年一月四日から三月一五日までの間に三〇日往診

(三) 三橋病院

昭和五四年二月二一日に一日通院

同年三月一六日から二六日まで一一日入院

3  原告花子は、2の傷害につき昭和五四年四月二一日に症状が固定したが、後遺障害として、左膝痛、五分以上の歩行困難、性交時の恥骨部痛、左下腿から足部のしびれ感の自覚症状と、恥骨部変形残存、産道狭窄、左膝可動域制限、左下腿以下の知覚障害、左下肢の二センチメートル短縮、左大腿外側二〇センチメートル、左腸骨部六五センチメートル、左殿部四・五センチメートル、左膝内側四センチメートルの各瘢痕を残した。

原告花子の後遺障害は、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)施行令(以下「施行令」という。)別表等級第一〇級に該当する。

4  原告一郎は、本件事故時在胎三二週の胎児であったが、母体の原告花子が、本件事故によって骨盤骨周辺組織に強度の衝撃を受け、前記2の多発傷害を受けたため、出産予定日(昭和五二年五月三〇日)より早い同年四月一五日に出生した上、狭頭症(頭蓋骨縫合早期癒合症)の傷害を負い、次のとおり入院又は通院して治療を受けた。

(一) 付属病院

同年八月九日から同月三一日まで二三日入院

同年七月一三日から昭和五五年一二月二四日までの間に二五日通院

(二) 日下医院

昭和五二年八月一〇日、昭和五三年三月二四日、同年一二月一三日の三日通院

5  原告一郎は、4の傷害につき昭和五四年一〇月八日に症状が固定したが、後遺障害として、四肢の運動機能障害、精神発達障害を残し、その後遺障害は、施行令別表等級第一級に該当する。

原告一郎の脳循環障害が引き起こされた理由は、次のとおりである。すなわち、原告花子は、原告一郎を出産するまでの一四日間に、「出血性又は神経性のショックを起こし、全身血圧が下降して、胎児の脳灌流圧の低下を招いた。一〇〇〇ミリリットルを越える外傷性内出血を起こし、胎児に低血圧、低酸素血症など乏血性の変化を引き起こした。胎盤剥離を引き起こしたが、多発外傷によって背臥位を余儀無くされ、下行大静脈が圧迫されて、子宮の静脈灌流が障害を受け、胎児の全身的な循環障害を引き起こした。正常分娩に必要な体位を確保することができなかったため、分娩が遷延した。」のであり、これらの事由が相乗して、胎児に脳循環障害を引き起こした。また、原告一郎の頭蓋骨縫合早期癒合症は、本件事故による脳の変形と萎縮によって引き起こされた二次的なものである。

6  被告らの責任原因は次のとおりである。

(一) 被告髙橋は、被告車を保有し、これを自己のため運行の用に供していたから、自賠法三条の規定による賠償責任がある。

(二) 被告会社は、被告髙橋との間で被告車につき自動車損害賠償責任保険契約を結んでいたから、その保険金額である一五〇〇万円の限度において、自賠法一六条一項の規定による賠償責任がある。

7  原告花子は、次の損害を被った。

(一) 治療費

(1) 付属病院 一〇一万四九八七円

内訳 入院分 九一万五三六七円

通院分 九万九六二〇円

(2) 三橋病院 二五万〇八五〇円

(3) 斉藤治療院 四四万九三〇〇円

(4) 右の(1)ないし(3)の合計額は一七一万五一三七円であるが、(1)のうち一〇〇万一八八七円、(2)のうち二四万七八五〇円及び(3)の全額の合計額一六六万九〇三七円は、被告髙橋及び同人の保険契約に係る訴外日動火災海上保険株式会社(以下「日動火災海上」という。)が既にこれを支払ったので、その残額は四万六一〇〇円である。なお、(1)の治療費には原告花子の分娩料三万円が含まれていない。

(二) 付添看護費

(1) 職業付添人分 四八万六三五〇円

これは被告髙橋が既に支払った。

(2) 親族付添人分 五四万八〇〇〇円

入院日数は七六日であったが、自宅療養中も入院時と変わるところがなかった。昭和五二年四月二日から同年一二月三一日まで二七四日を入院期間と見て、その間の一日当たり二〇〇〇円のものである。

(三) 入院雑費 一三万七〇〇〇円

一日当たり五〇〇円で、二七四日分である。

(四) 通院交通費 四万八四〇〇円

付属病院への通院にタクシーを利用した。一日当たり往復で二二〇〇円であったから、その二二日分である。

(五) 治療器ホットパック代 六万八〇〇〇円

松葉杖、コルセット代 二万〇八〇〇円

これらは被告髙橋が既に支払った。

(六) 休業損害 三一二万四八二八円

本件事故当時家事に従事していたほか、原告甲野太郎が営んでいた飲食店「甲野亭」の経営補助者として飲食店の業務に従事し、更に夜の合間には手内職をしていた。ところが、本件事故によって昭和五二年四月二日から昭和五四年四月二〇日まで七四九日間休業を余儀無くされた。そのため一日当たり四一七二円(昭和五二年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の平均給与額相当額)で、七四九日分の損害を被った。

(七) 逸失利益 五五九万八六六八円

少なくとも毎年一五二万二九〇〇円(前記昭和五二年賃金センサス女子労働者の平均給与額相当額)の収入を得るはずであったところ、本件事故による前記3の後遺障害のため労働能力を二七パーセント喪失し、その期間は二〇年に及ぶ。その間の中間利息を新ホフマン方式で控除すると、その現価は、右の年収の二七パーセントに係数一三・六一六〇を乗じて右の額となる。

(八) 慰謝料 八〇〇万円

(1) 前記のとおり入院及び通院して治療を受け、第一〇級の後遺障害を残して、肉体的精神的に苦痛を受けた。入通院分として二〇〇万円、後遺障害分として三〇〇万円が相当である。

(2) 原告一郎の母として、その順調な成育と進学とを期待し、幸福な生活を送ってきたのに、本件事故により原告一郎に重い後遺障害が残ったため、その生命を害された場合にも等しい精神的苦痛を受けた。その慰謝料は三〇〇万円が相当である。

(九) (一)ないし(八)の各損害の合計額は一九七四万七一八三円である。被告髙橋及び日動火災海上から前記既払分を含めて合計四二四万九二三二円の支払を受けたほか、自賠法の規定による後遺障害分保険金として三〇二万円の支払を受けた。既払分の合計額七二六万九二三二円を控除すると、右の損害の残額は一二四七万七九五一円となる。

8  原告一郎は、次の損害を被った。

(一) 治療費 一四万三五五七円

(二) 入院雑費 一万一五〇〇円

(三) リハビリテーション費 五六〇七円

(四) 逸失利益 五二二一万九七五五円

本件事故当時在胎三二週の胎児で、昭和五二年四月一五日に出生したが、高校卒業後の昭和七一年四月(一八歳)から六七歳に達するまで四九年間稼働し、その間に少なくとも毎年三〇六万七六〇〇円(昭和五四年賃金センサス産業計・企業規模計・高卒男子労働者の平均給与額相当額)の収入を得ることができるはずであるところ、本件事故による前記5の後遺障害のため労働能力を一〇〇パーセント喪失し、右の収入の全額を失った。その間の中間利息を新ホフマン方式で控除し、症状固定の昭和五四年一〇月八日における現価を算出すると、右の年収に係数一七・〇二三(二八・五五九から一一・五三六を減じたもの)を乗じて右の額となる。

(五) 慰謝料 一〇〇〇万円

前記のとおり入院及び通院して治療を受け、第一級の後遺障害を残して、肉体的精神的に苦痛を受けた。その慰謝料として右の額が相当である。

(六) 介護費 四三七四万三四七二円

本件事故により四肢の運動機能と精神機能を喪失し、原告花子ら近親者による一日二四時間の日常的かつ一体的な介護が必要である。その費用は一日当たり五〇〇〇円が相当であり、介護は請求日である昭和五九年三月二二日から更に三〇年間必要とする。生後一年の昭和五三年四月一六日から請求日まで二一六八日間の介護費は一〇八四万円である。その後の介護費の請求日における現価は、中間利息を新ホフマン方式で控除すると、年額一八二万五〇〇〇円に係数一八・〇二九三を乗じて三二九〇万三四七二円となる。

(七) (一)ないし(六)の各損害の合計額は一億〇六一二万三八九一円である。

9  原告太郎は、原告一郎の父として、その順調な成育と進学とを期待し、幸福な生活を送ってきたのに、本件事故により原告一郎に重い後遺障害が残ったため、その生命を害された場合にも等しい精神的苦痛を受けた。その慰謝料として三〇〇万円が相当である。

10  弁護士費用

原告らは、その訴訟代理人らに委任して本件訴訟を提起することを余儀無くされ、訴訟代理人らとの間に、「着手金として各一〇万円(合計三〇万円)を、成功報酬として原告一郎が一〇〇万円、原告花子が七〇万円、原告太郎が三〇万円をそれぞれ支払う。」と約定した。

11  そこで、原告一郎は、被告髙橋に対し損害金一億〇七五〇万〇三八九円及び内金一億〇六四〇万〇三八九円に対する本件事故の日の翌日の昭和五二年四月三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、被告会社に対し損害金一五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和五六年五月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告花子は、被告髙橋に対し損害金一二九八万七六五一円及び内金一二一八万七六五一円に対する訴状送達の日の翌日の昭和五六年五月一七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告太郎は、被告髙橋に対し損害金三四〇万円及び内金三〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日の昭和五六年五月一七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告髙橋の答弁

1  1の事実を認める。

2  2のうち、原告花子が本件事故によって傷害を負い、入院又は通院して治療を受けた事実を認めるが、その余の事実は知らない。

3  3のうち、原告花子が後遺障害を残し、その後遺障害が第一〇級に該当する事実を認めるが、その余の事実は知らない。

4  4のうち、原告一郎が本件事故当時在胎三二週の胎児で、予定日より早く出生した事実を認めるが、原告一郎が本件事故によって狭頭症の傷害を負った事実を否認し、その余の事実は知らない。原告一郎の狭頭症は、先天性の頭蓋骨の発育不全によるものであった。

5  5のうち、原告一郎の頭蓋骨縫合早期癒合症が本件事故によって引き起こされた事実を否認する。原告一郎は、在胎三二週の胎児であったから、外傷によって狭頭症になったものではない。先天性の狭頭症は、妊娠二ないし三箇月の胎芽期に不明の原因によって引き起こされる。仮に原告一郎が脳循環障害に陥ったとしても、それは頭蓋骨の発育不全に伴って発生した先天的なものであり、本件事故との間には因果関係がない。

6  6の(一)の事実を認める。

7  7の各事実についての認否は次のとおりである。

(一) 分娩料は本件事故との間に因果関係がない。その余の治療費は知らない。

(二) 付添看護費は、看護を要するものでなかったから、本件事故との間に因果関係がない。

(三) 入院雑費は、一日当たり六〇〇円で、入院七六日分の限度において認め、その余を否認する。

(四) 通院交通費は知らない。

(五) 休業損害は、女子労働者の平均賃金(月額一二万五一六〇円)の七割で、休業期間を一六箇月とする限度において認め、その余を否認する。すなわち、一四〇万一七九二円を超えなかった。

(六) 逸失利益は、前記平均賃金の七割で、喪失期間を一三年、喪失率を二〇パーセントとする限度において認め、その余を否認する。中間利息の控除はライプニッツ係数九・三九三によるべきである。したがって、二〇〇万二六四三円を超えない。

(七) 慰謝料は、入通院分として一三〇万円、後遺障害分として一二〇万円の限度において認め、その余を否認する。原告一郎の受傷による慰謝料は、本件事故との間に因果関係がない。

(八) 原告花子が損害の填補として七二六万九二三二円の支払を受けた事実を認める。原告花子の損害額は約五九五万円であったから、その損害はすべて填補された。

8  8の(一)ないし(五)の各事実をすべて否認する。8の(六)の事実は知らない。原告一郎の損害は、本件事故との間に因果関係がない。

9  9の事実を否認する。原告一郎の受傷による慰謝料は、本件事故との間に因果関係がない。

10  10の事実は知らない。

三  請求原因に対する被告会社の答弁

1  1の事実は知らない。

2  2の事実は知らない。

3  3の事実は知らない。

4  4の事実は知らない。

5  5の事実は知らない。

仮に原告一郎が狭頭症の傷害を負い、後遺障害を残したとしても、それらは本件事故との間に因果関係がない。すなわち、原告一郎は、本件事故当時在胎三二週の胎児であったから、この時期に外傷によって狭頭症を生じる可能性はなく、その狭頭症は妊娠二ないし三箇月の胎芽期に起こった先天性のものである。

6  6の(一)の事実は知らない。

6の(二)のうち、被告会社が原告ら主張の自動車損害賠償責任保険契約を結んだ事実を認めるが、その余の事実を否認する。仮に被告会社が保険金額一五〇〇万円(施行令別表等級第一級によるもの)の限度において賠償すべき責任があるとしても、その賠償額は、損害項目に係わりなく、すなわち遅延損害金をも含めて一五〇〇万円の範囲にとどまるものである。

7  7の(一)ないし(八)の各事実はいずれも知らない。7の(九)のうち、原告花子が損害の填補として七二六万九二三二円の支払を受けた事実を認めるが、その余の事実は知らない。

8  8の(一)ないし(六)の各事実はいずれも知らない。

9  9の事実は知らない。

10  10の事実は知らない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  本件事故の発生

請求原因1の事実は、原告らと被告髙橋昭との間に争いがない。

《証拠省略》によれば、請求原因1の事実を認めることができるほか、次の事実を認めることができる。

1  原告甲野太郎(昭和二四年二月三日生)と原告甲野花子(昭和二〇年八月三〇日生)は、本件事故当時長女訴外甲野春子(四歳)とともに、千葉市《番地省略》に居住し、その居宅において食堂「甲野亭」を経営していた。

2  原告花子は、昭和五二年四月二日(土曜日)午後四時五〇分ころ、夕食の材料と翌日の食堂の材料を買うために居宅を出て、約二〇〇メートル離れた商店に赴き、必要な野菜等を買い求めた後、道路右側を歩きながら居宅へ向かっていた。

3  被告髙橋は、同日二男訴外髙橋誠(五歳)とともに、勤務先の社員同好会釣りクラブ主催の汐干狩りに参加し、富津海岸で遊んだ後、被告車の助手席に誠を乗せてこれを運転し、自宅へ向かいながら時速約四五キロメートルの速度で本件事故の発生場所付近に差しかかった。

4  被告高橋は、対向車とのすれ違いに気を取られていたため、対面歩行してきた原告花子を発見するのが遅れてしまい、ハンドルを右に切って急制動の措置を講じたが、間に合わず、被告車の左前部を原告花子の左大腿部付近に衝突させた。

二  原告花子の受傷

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告花子は、原告甲野一郎を懐胎して、昭和五一年一〇月一三日から付属病院産婦人科に通院して診察を受け、出産予定日が昭和五二年五月三〇日であると告げられていた。

そのため原告花子は、昭和五二年四月二日本件事故の現場から救急車で付属病院に搬送され、産婦人科で診察を受けた後、直ちに同病院の整形外科に回され、左大腿骨々折、左脛骨々折、骨盤骨折、恥骨々折と診断されて、そのまま入院した。

原告花子は、同月六日、左大腿骨観血的整復プレート固定及び左脛骨スクリュー固定の手術を受け、同月一五日同病院産婦人科で原告一郎を自然分娩して、同年五月八日同病院整形外科を退院した。

原告花子は、同年六月一〇日から同病院同科に通院していたところ、同月一五日同病院の玄関で転倒し、その後左大腿に変形が生じて、左大腿骨々折部に偽関節が形成されたため、ギプス固定を受けたが、同年八月一七日再度同科に入院し、同月二四日、整復プレート抜去及びキュンチャー釘固定の手術を受けて、同年九月一三日退院した。原告花子は、同月二八日から昭和五四年四月二一日まで同病院同科に通院して、歩行訓練等の治療を受け、同日をもって症状が固定したと診断された。

以上のとおり、原告花子は、同病院に、昭和五二年四月二日から五月八日まで三七日入院し、六月一〇日から八月一〇日までの間に七日通院し、同月一七日から九月一三日まで二八日入院し、同月二八日から症状固定日までの間に二二日通院して、治療を受けた。

2  原告花子は、本件事故による受傷のため、股関節硬縮、膝関節硬縮、大腿四頭筋萎縮及び筋力低下を被り、昭和五二年五月一〇日から昭和五四年三月一五日までの間に二四六日間、斉藤治療院において、マッサージ、温熱療法、膝関節矯正、左下肢機能訓練、歩行訓練等を受けた。

3  原告花子は、付属病院から紹介された三橋病院において、昭和五四年二月二一日診察を受けた上、同年三月一六日入院して、キュンチャー釘抜去の手術を受け、同月二六日退院した。

4  原告花子は、症状が固定したが、次のような後遺障害を残した。

(自覚症状)左膝痛、五分以上の歩行困難、性交時恥骨部痛、左下腿から足部のしびれ。(他覚症状)恥骨部変形残存、産道狭窄、左膝可動域制限、左下腿以下の知覚障害。(醜状障害)瘢痕、左大腿外側二〇センチメートル、左腸骨部六・五センチメートル、左殿部四・五センチメートル、左膝内側四センチメートル。(下肢の短縮)左下肢二センチメートル。

原告花子の後遺障害が自賠法施行令別表等級第一〇級に該当する事実は、原告らと被告髙橋との間に争いがない。

三  原告一郎の受傷

前記一及び二に認定したとおり、原告一郎は、本件事故当時在胎三二週の胎児で、昭和五二年五月三〇日に出生するものと見込まれていたが、同年四月一五日自然分娩により出生した。

1  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告花子は、昭和五二年四月一三日付属病院の整形外科から産婦人科へ移され、分娩を遅らせる処置を受けたが、同月一五日午後四時五〇分ころ頭位で原告一郎を分娩した。

原告一郎は、体重二六七三グラム、身長四八センチ、胸囲二九センチメートル、頭囲三二センチメートルで出生したが、皮膚にチアノーゼが著明であったため、直ちに保育器に収容されて治療を受け、同年五月一五日体重三二一五グラムで同病院産婦人科を退院した。

(二)  原告一郎は、同年七月八日同病院小児科に通院して診察を受け、臍帯ヘルニアと診断されたが、担当医師は、「原告一郎の頭蓋骨の縫線が既に閉じており、頭蓋骨癒合症があると思われる。」と通知して、原告一郎を同病院小児外科に紹介した。

(三)  原告一郎は、同月九日同病院小児外科に通院して診察を受け、臍帯ヘルニアについては手術の必要がないと診断されて、バンソウコウによるバンド固定の治療を受けた。

(四)  原告一郎は、同月一一日同病院小児科の担当医師から同病院の脳神経外科を紹介され、同月一三日同科に通院して診察を受けた。

原告一郎は、同日同科において、頭部レントゲン検査を受けるなどして、頭蓋骨早期癒合症と診断され、同年八月九日同科に入院して、その手術を受けることになり、同月一〇日同科の紹介による日下医院において、CTスキャン検査と脳波検査を受けた上、同月一六日付属病院脳神経外科において、両側線状骨除去術兼形成術を受けた。

担当医師による手術の要領は、次のようなものであった。すなわち、「両側前頭の頭蓋骨部分切除術のため、スッタの冠状皮膚を切開した。大泉門は開存しているが、年齢にしてはかなり小さい。縫線はすべて(冠状縫合、矢状縫合、前頭縫合及び蝶形縫合)しっかりと癒合している。冠状縫合のすぐ後ろで、正中線から約二・五センチメートル離れて、右側頭頂骨に小さな穴をあけた。ここから冠状縫合に沿って幅約三センチメートルに、両側に頭蓋骨を下げた。頭蓋骨部分切除術は、蝶形骨大翼後上頂から充分離すため、蝶形縫合のかなり先まで実施した。エアトームで矢状縫合周囲及び眼窩上部分を切り、二つの三角形のフラップを作った。眼窩縁は眼窩―前頭骨から充分離したが、前頭縫合に沿った正中線骨はそのまま残した。蝶形骨大翼後上頂は明らかに肥厚しており、右側より左側で目立っていた。それに反し、脳瘤は右側より左側の方が拡張していた。」

原告一郎は、同月二九日同科において、CTスキャン検査を受け、同月三一日同科を退院した。

(五)  原告一郎は、同年一〇月二四日付属病院眼科に通院して診察を受け、眼球振盪症と診断された。

(六)  原告一郎は、昭和五三年三月二〇日同病院耳鼻咽喉科に通院して診察を受け、小児難聴の疑いと診断された。

(七)  原告一郎は、同月二四日及び同年一二月一三日に日下医院において、脳波の検査を受けた。

(八)  原告一郎は、リハビリテイションのため、昭和五二年九月二八日から昭和五五年一二月二四日までの間に一九日間付属病院脳神経外科に通院した。これに(四)の入院前のものを含めて、原告一郎は、同科に合計二五日通院した。

(九)  原告一郎は、昭和五七年二月五日高橋脳神経外科病院(以下「高橋病院」という。)に通院して診察を受け、頭部レントゲン検査及びCTスキャン検査等を受けた上、同日をもって症状が固定したと診断された。

原告一郎は、後遺障害として重度の脳性麻痺を残し、四肢の運動機能障害及び精神発達障害を残した。

2  原告一郎の受傷と本件事故との間の因果関係について考察する。

(一)  前記三の1に認定した事実に、《証拠省略》に照らせば、原告一郎は、頭蓋骨早期癒合症(狭頭症)に罹患したものと認めることができる。

(二)  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 幼小児では、頭蓋骨は薄く、縫合が癒合していないため、頭蓋内圧亢進時には離開する。縫合の離開は一〇歳ころまで行われる。すなわち、頭蓋骨相互の間では、正常で生後五ないし六箇月ころまでに相当固い線維性癒合が起こるが、骨性癒合が完成するのは中年以後である。

(2) ところが、頭蓋骨の縫合が異常に早期に骨性癒合することがある。そうすると、その頭蓋骨縫合と直角の方向への頭蓋骨の増大が起こらなくなるため、頭蓋の変形と頭蓋内腔の狭小が起こり得る。頭蓋骨縫合の癒合が脳の正常発育中に早期に起こるのが真の狭頭症(一次性狭頭症)であり、後天的な脳障害等によって起こるのが二次性狭頭症である。また、脳発達が不良であるために頭蓋が小さいのは小頭症であって、狭頭症ではない。

(3) 一次性狭頭症が発症する原因は不明であるとされ、多くは出生時に既に癒合が見られる。すなわち、それは胎生期に起こるとされる。

治療は、頭蓋形状の異常を矯正することに向けられる。頭蓋骨早期癒合症の頭蓋内合併症は、治療が早期に、できるなら生後三箇月以内に行われるならば、起こる可能性が少ない。治療が遅れると、脳の発育や視機能に好ましくない影響を及ぼす。

(三)  《証拠省略》によれば、原告花子又は原告一郎を診察した付属病院の担当医師は、訴外自動車保険料率算定会自動車損害賠償責任保険千葉調査事務所長に対し、次のような回答をした事実を認めることができる。

(1) 産婦人科医師訴外工藤純孝は、昭和五四年九月二五日、「事故と出産児の狭頭症との因果関係は、不明である。」と回答した。

(3) 小児科医師訴外新美仁男は、同日、「先天性の頭蓋骨癒合症は、妊娠二ないし三箇月の胎芽期に、不明の原因によって起こるものである。また、分娩後に起こることもあるが、この際にはくる病、特発性高カルシウム血症、低リン酸酵素症などを伴うことが多い。母親が外傷を受け、患児を生んだのが妊娠三四週であるから、本患児の頭蓋癒合症は、母親の受けた交通事故と直接的な因果関係は考えにくい。」と回答した。

(3) 整形外科医師訴外守屋秀繁は、同年一〇月一二日「事故と出産児の狭頭症との因果関係は、わかりません。」と答えた。

(4) 脳神経外科医師訴外山浦晶は、昭和五五年二月二一日、「狭頭症(狭義)は頭蓋骨の発育不全によるものであるが、脳の障害や発育不全により同様の症状(広義の狭頭症)を呈することはあり得る。広義の狭頭症に関して、母体が大きな外傷により低血圧あるいは低酸素症などに陥った時、胎児脳に何らかの損傷が加わり得ることは否定できない。骨盤骨折自身の胎児に及ぼす影響については不明である。事故と出生児の狭頭症との因果関係は、以上に述べた点で、完全に否定することはできない。」と回答した。

(四)  《証拠省略》によれば、高橋病院の医師訴外高橋俊平は、次のように診断した事実を認めることができる。

(1) 髙橋医師は、昭和五七年二月五日来院した原告一郎を診察し、CTスキャン検査等を行って、原告一郎が出生する直前に頭部外傷を受け、その後遺症として脳性麻痺に陥っていると診断した。

その理由は次の(2)ないし(5)のとおりである。

(2) 脳性麻痺は、大脳あるいは小脳に何らかの障害が起こったことによって発症する。

CTスキャンによると、原告一郎の前頭葉、左右両側頭葉に低吸収域が見られた。脳組織が壊死すると、その部分に低吸収域が生ずる。その低吸収域の図様は、付属病院脳神経外科が昭和五二年八月二九日に行ったCTスキャンによる図様と比較し、ほとんど同一のものであった。脱落した部分の脳神経細胞は、再生することがないと言われている。

脳組織が壊死する原因としては、一般的に、脳に与えられる直接外力で脳の細胞が壊れる状態(これを脳挫傷という。)による場合と、脳を養っている血管が閉塞したりして、脳の組織に乏血状態、阻血状態が生じたため、あるいは血流があっても酸素交換が十分に行われないために無酸素状態に陥ったことによる場合とがある。

(3) 原告一郎は、狭頭症に罹患し、付属病院において骨切り術を受けた。狭頭症の原因と脳性麻痺の原因とは、別個のものである。

原告花子は、妊娠八箇月で、本件事故により恥骨骨折と骨盤骨折を受けた。

狭頭症の原因、すなわち何故早期に骨性癒合が起こるかについては諸説があって、原因不明と言われている。原告一郎の狭頭症が胎生期に起こっていたとすれば、本件事故が狭頭症の原因として全く関係がないとは言えないが、関係があると即断することもできないので、その因果関係は分からないと言うほかない。

(4) 原告一郎の脳性麻痺の原因は、原告花子が受けた外傷によるものであった。原告花子は、胎児の頭が骨盤腔の中にまで落ちている状態で、骨盤骨折を起こした。これによれば、胎児が頭に直接打撃を受けたと見るのが合理的である。すなわち、胎児は、骨盤腔の中に落ちていたから、羊水による保護が十分でなかった上、骨盤が仙腸関節でfile_3.jpg開していたため、緩衝装置の保護を受けることなく、本件事故によって生じた母胎の骨盤腔の変形に伴う外力によって、直接頭部に打撃を受けたと見ることができる。そして、狭頭症であったことは、外力の伝達を増進したものと考えられ、広範囲にわたる前頭葉、両側頭葉の脳挫傷が引き起こされた。

(5) 原告一郎は、出生後チアノーゼ、後弓反張を示したが、これは既に脳挫傷が起こっていたために出現したと見るのが合理的である。

原告花子は、大腿骨々折等によって約一リットルの出血をしたものと思われるが、この出血による血圧の低下は起こり得るとしても、その程度の出血で胎児に前記のような脳の損傷を与えたとは思われない。ただ、その出血は、脳挫傷を悪化させる要因になった。

原告花子は、大腿骨々折等の手術を受けた際、全身麻酔をかけられたが、その全身麻酔は、胎児の早産を招いた。

(五)  そして、鑑定の結果は、次のとおりである。

(1) 原告一郎には重度の脳性麻痺があり、将来高度の精神運動発達を遂げることは全く期待できないように思われる。

(2) その原因について検討する。

イ 原告花子は、受傷直後意識を消失し、数分間の出来事について記憶がない。その原因の一つとして、外傷直後に出血性、又は神経性のショックが起こり、同人の全身血圧が下降し、これが一過性の脳灌流圧の低下をもたらして、脳機能障害(意識の喪失)を起こしたことが考えられる。その場合には胎児の全身血圧も下降し、これが胎児の脳灌流圧の低下を招いて、胎児に脳障害を引き起こす可能性がある。

ロ 原告花子は、整形外科入院後、早産防止の薬物を混入した点滴注射を毎日持続的に受け、受傷の日から微弱陣痛があり、受傷直後に少し破水したとの印象を受けていた。これによると、受傷直後から同人の妊娠には何らかの異常が発来したと推定される。

ハ 原告花子は、左大腿骨々折、左脛骨々折、恥骨々折によって、一リットルを超える外傷性内出血が起こったと推定される。外傷後、出血等の原因で母体の血圧が下降すると、子宮内血管が収縮して、胎児に全身性の循環障害が起こる可能性がある。したがって、胎児に低血圧、低酸素血症など乏血性の変化を起こした可能性が大きい。

ニ 妊娠後期になると、児頭は骨盤内に固定され、羊水の量は相対的に減少するから、直接子宮に加わる外力に対する羊水の緩衝能が減少し、胎児は外傷を受け易くなる。原告一郎については、出生直後の外観、頭部変形の有無、頭蓋骨々折の有無等の記録が見当たらないので、同人が胎内で頭部外傷を受けたか否かを決定することは困難である。

ホ 妊婦が外傷を受けると、しばしば胎盤剥離が起こる。また、妊娠末期の妊婦が背臥位をとると、妊婦の下行大静脈が子宮それ自体の重力で圧迫を受け、子宮の静脈灌流が障害されて、胎盤剥離を起こしたり、これが促進されたりする。胎盤の循環障害や早期剥離は胎児の全身的な循環障害を招き、脳循環障害の原因となる。このような状況下に分娩が開始した場合、その分娩には多くの問題が生ずることが推定され、分娩の遷延等は胎児の脳循環機能障害を引き起こす原因となることもある。

ヘ 以上のように、原告一郎の脳の病変は、母体の外傷だけでなく、外傷後の母体の諸条件、あるいは分娩それ自体の障害によっても引き起こされる可能性があったのであり、その原因を単一の病態に求めることは極めて難しい。しかし、原告一郎の脳の病変と原告花子の外傷との間には強い因果関係があると見て間違いがない。

(3) 原告一郎の日下医院、付属病院及び高橋病院におけるCTスキャン所見を見ると、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉のいずれの部位にも、大脳皮質とこれに接する皮質下白質に広範な低吸収域を認める。前頭葉及び頭頂葉では一部、孔脳症を形成していると思われる限局性低吸収域を認める。これらの低吸収域は脳組織の変性と脱落(壊死)に起因したものと考えられる。

両側の側脳室は高度に拡大しているが、特に日下医院と付属病院のCTでは、大脳半球を取り囲む蜘蛛膜下腔の拡大も認められる。基底核、視床、脳幹、小脳、大脳深部には明らかな低吸収域はないが、高橋病院のCTでは、これらの部位にもび慢性に班点状の低吸収域が拡がっている。

イ 原告一郎の脳のCT所見は、原告花子が外傷を受けてから出産に至るまでの過程に引き起こされた低酸素血症、又は乏血性ないし虚血性脳循環障害により引き起こされたものと推定される。

ロ 出生時に線状骨折、陥没骨折の所見がなく、付属病院の頭部単純写及び他のCT写真に線状骨折、陥没骨折の所見がないことからすれば、原告一郎が原告花子の受傷に際して直接頭部打撃を被った可能性は少ないように思われる。

原告一郎が原告花子の受傷に際して高度の脳挫傷を受けたと推定し得るような脳の限局性破壊を示唆する異常CT所見はないように思われる。

ハ 付属病院の頭蓋単純写には、頭蓋骨の骨縫合のすべてが早期に癒合していたと推定し得るような所見はない。すなわち、すべての頭蓋骨々縫合が早期に癒合しており、胎児の頭蓋腔がその容積を変化させることができず、頭部外傷後に脳循環障害を増悪させたと推定し得る証拠はない。

(4) そして、原告一郎の頭蓋骨々縫合早期癒合は胎生期に完成したものではなく、脳の変性と萎縮に引き続いて引き起こされた二次的な頭蓋骨々縫合の早期癒合症と考えられる。

(5) 以上のとおり、原告一郎の現在の運動障害及び精神発達障害の原因は、外傷から出生に至るまでの一四日間の間に起きた脳循環障害に起因したものと考えられる。しかし、脳循環障害の発来した時期を特定することは困難である。

また、原告一郎の脳障害と原告花子の多発外傷との間には深い因果関係を見るが、原告一郎の脳病変の原因を単一の原因に求めることは困難である。

(六)  以上のように、付属病院の各科の診断、高橋医師の診断及び鑑定の結果は、その見解を異にしている。すなわち、付属病院脳神経外科は、頭蓋骨部分切除術を行った際、縫線がすべてしっかりと癒合していたとし、骨盤骨折自身の胎児に及ぼした影響は不明であるとしている。もっとも、《証拠省略》によれば、同病院同科の山浦医師は、昭和五二年八月一三日、日下医院のCTスキャンの所見として、「著明な脳室の拡大が認められる。地図様の低吸収域が主として前頭葉に目立っている。これらのことから梗塞が疑われる。これは、母親が多重骨折によりショックを受けたことに起因しているのかも知れない。頭蓋のCTスキャンより二次性の頭蓋骨癒合症であると考える。」とし、小さく変形した頭蓋骨(頭蓋骨癒合症)と診断していたのに、同月一五日原告太郎に対しては、「交通事故との関係に関しては分からないが、一般的には余り考えられないことの方の多いと思う。」と説明した事実を認めることができる。

次に、高橋医師は、原告花子が本件事故によって骨盤骨折を受けた際、骨盤腔の変形による外力によって、原告一郎が頭部に直接打撃を受け、その前頭葉、両側頭葉に脳挫傷を被ったと診断している。

そして、鑑定の結果は、高橋医師の診断と異なるものであり、原告一郎が頭部に直接打撃を受け、脳挫傷を被ったと推定し得る資料は見当たらないというのである。

しかし、右のような山浦医師の所見、前記(四)に認定した高橋医師の診断及び鑑定の結果を対照して検討すると、一件記録をすべて精査して鑑定を行った鑑定人医師佐藤潔の鑑定の結果を採用するのが相当であり、この鑑定の結果によれば、原告一郎が被った二次性の頭蓋骨縫合早期癒合症及び重度の脳性麻痺は、本件事故との間に相当因果関係があると認めるのが相当である。《証拠判断省略》

四  責任原因

1  請求原因6の(一)の事実は、原告らと被告髙橋との間に争いがない。

2  被告会社が被告髙橋との間で被告車につき自動車損害賠償責任保険契約を結んでいた事実は、原告らと被告会社との間に争いがない。

五  原告花子の損害

原告花子は、前記二に認定した傷害を受け、次の損害を被った。

1  治療費

(一)  付属病院 一〇一万四九八七円

《証拠省略》によると、入院による費用は、分娩料三万円を除いて九一万五三六七円であった事実を認めることができ、《証拠省略》によれば、通院による費用は九万九六二〇円であった事実を認めることができる。

(二)  三橋病院 二五万〇八五〇円

《証拠省略》によれば、入通院による費用が二四万七八五〇円で、診断書料が三〇〇〇円であった事実を認めることができる。

(三)  斉藤治療院 四四万九三〇〇円

《証拠省略》によれば、治療費、診断書料及び診療報酬明細書料の合計額が四四万九三〇〇円であった事実を認めることができる。

2  付添看護費 四一万六五五一円

《証拠省略》によれば、入院期間中における職業付添人に対する費用として、四一万六五五一円を要した事実を認めることができる。《証拠省略》によれば、昭和五二年六月一〇日から同月一九日までの費用として、職業家政婦に六万九七九九円が支払われた事実を認めることができるけれども、《証拠省略》によれば、原告花子は、同月一〇日と一五日に付属病院整形外科に通院した事実を認めることができるから、右の期間中に付添看護を要したものと認めることはできず、右の費用は本件事故との間に相当因果関係がないものというほかない。

原告花子は、自宅療養中も入院時と変わるところがなかったから、同年一二月三一日まで二七四日間の親族の付添看護費を請求するというのであるが、右の期間には入院期間が含まれているばかりでなく、付添看護を必要としたとの事実を認めるに足りる証拠もないので、これを認容するのは相当でない。

3  入院雑費 四万五六〇〇円

入院期間七六日について、一日当たり六〇〇円の限度において認容するのが相当である。

4  通院交通費 一万五四〇〇円

《証拠省略》によれば、原告花子は、付属病院へ通院するに当たってタクシーを利用し、往復で二二〇〇円を要した事実を認めることができる。同人が昭和五二年五月八日退院して、六月一〇日から八月一〇日までの間に七日通院し、同月一七日から九月一三日まで再度入院した後、同月二八日から通院を始めた事実に照らせば、タクシー料金としては、当初の七日分の一万五四〇〇円の限度において認容するのが相当である。

5  治療器ホットパック代 六万八〇〇〇円

松葉杖、コルセット代 二万〇八〇〇円

《証拠省略》によれば、右の事実を認めることができる。

6  休業損害 二三四万〇四九二円

原告花子は、夫の原告太郎とともに食堂「甲野亭」を経営していたが、《証拠省略》によれば、食堂の収入は、本件事故当時経費を差し引いて一箇月当たり三五万円ないし四〇万円であり、原告花子は、当時内職として訴外株式会社三和商会から赤白帽子の縫製を請け負い、これを下請けに出して、一箇月当たり一二万円ないし一三万円の収入を得ていた事実を認めることができる。

原告花子の左大腿骨々折等は、昭和五四年四月二一日に症状が固定したが、同人は、昭和五二年九月一三日付属病院を退院した後、同病院や斉藤治療院に通院するなどして治療を受け、昭和五四年三月一六日から同月二六日まで三橋病院に入院して、キュンチャー釘抜去術を受けた。しかし、入院の期間はともかく、同人が何時まで休業を余儀無くされたのかを認めるに足りる証拠はない。同人の入院が七六日、通院が二七六日であり、被告髙橋が休業期間を四八〇日まで認めていること及び後遺障害が第一〇級のものであったことを考慮して、昭和五二年四月三日から昭和五四年四月二〇日までの七四八日のうち、前半を全額の休業、後半を半額の休業と認めるのが相当である。

原告花子の収入については、前記認定の実額に照らし、原告ら主張のとおり一日当たり四一七二円と認めるのが相当である。

以上によると、前半の三七四日分については一五六万〇三二八円となり、後半の三七四日分については七八万〇一六四円となって、その合計額は二三四万〇四九二円となる。

7  逸失利益 五一二万四二四五円

《証拠省略》によれば、「原告太郎と原告花子は、昭和五六年に夫婦喧嘩をして、原告花子が岐阜県中津川市の実家に帰ってしまったため、食堂『甲野亭』の営業を止めた。同人が約四箇月後に戻ったので、原告太郎は、家具店を始めたが、長続きせず、昭和五八年から喫茶スナック『チェリー』の営業を始めて、四人くらいの従業員を雇い入れ、午後六時三〇分から翌日午前二時まで営業をしている。原告花子は、昭和五七年四月に自動車の運転免許を取得し、原告一郎の看護・機能回復訓練等に専念していたが、長女春子が中学生になり、原告一郎の面倒を見るようになったので、スナックの店に出勤して、その営業に従事するようになった。スナック店の収入は、経費を差し引いて一箇月当たり四〇万円くらいである。もっとも、原告花子は、原告一郎の様子を見るため、時折店から居宅に戻っている。」事実を認めることができる。

右の事実に照らせば、原告花子の収入については、原告ら主張のとおり年額一五二万二九〇〇円と認めるのが相当である。

前記二の4に認定した後遺障害に照らせば、原告花子は、労働能力を二七パーセント喪失し、その期間が昭和五四年四月二一日(三三歳)から二〇年は継続すると認めるのが相当である。その間の中間利息はライプニッツ方式で控除するのが相当である。

以上によると、右の始期における現価は、年収一五二万二九〇〇円の二七パーセントに係数一二・四六二二を乗じて、五一二万四二四五円となる。

8  慰謝料 三七五万円

原告花子は、前記二に認定したような傷害を受けて、後遺障害を残したのであり、原告花子の供述によれば、同人は、これによって著しい肉体的精神的苦痛を受けた事実を認めることができる。この慰謝料としては三七五万円の限度で認容するのが相当である。

六  原告一郎の損害

原告一郎は、前記三に認定した傷害を受け、次の損害を被った。

1  治療費 一四万三五五七円

《証拠省略》によれば、付属病院の治療費として一二万五九四二円を負担した事実を認めることができ、《証拠省略》によれば、日下医院の検査料として一万七六一五円を支払った事実を認めることができる。

2  入院雑費

原告一郎は、昭和五二年八月九日から三一日まで二三日間付属病院脳神経外科に入院して両側線状骨除去術兼形成術を受けたが、その間に原告ら主張の入院雑費を要したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

3  リハビリテーション費 五六〇七円

《証拠省略》によれば、原告一郎は、千葉県桜が丘育成園に通院して機能回復訓練を受け、その費用として、昭和五五年三月一二日から同年七月三一日までの間に五六〇七円を支払った事実を認めることができる。

4  逸失利益 二三一五万八八四六円

原告一郎には重度の脳性麻痺があるから、その後遺障害は施行令別表等級第一級に該当すると認めることができる。これがなかったならば、同人は、高校卒業後の昭和七一年四月(一八歳)から六七歳に達するまで四九年間稼働し、その間に原告ら主張の年額三〇六万七六〇〇円の収入を得ることができるはずであると推定することができる。労働能力喪失率は一〇〇パーセントと認めることができる。中間利息をライプニッツ方式で控除することとし、本件事故発生日における現価を算出すると、右の年収に係数七・五四九五(一九・二三九〇から一一・六八九五を減じたもの)を乗じて、二三一五万八八四六円となる。

5  慰謝料 一〇〇〇万円

原告一郎には重度の脳性麻痺があり、《証拠省略》によれば、原告一郎は四肢の運動機能を喪失し、将来高度の精神運動の発達を遂げることも期待できない状況にある事実を認めることができる。このような事情に照らせば、その慰謝料として右の額を認容するのが相当である。

6  介護費 一七四六万九四九〇円

これまでに見た原告一郎の受傷及び後遺障害の内容、並びに《証拠省略》によれば、原告一郎は、出生以来、入院期間を除いて、自宅において両親らの看護を受けながら生活してきたが、自分の力で身動きをすることができるような状態になく、四六時中看視を必要とする状況にあって、現在県立桜が丘養護学校の小学部に通学して機能回復訓練を受けているものの、これに期待を掛けることは無理であるので、今後も長期間にわたって近親者の看護を必要とする事実を認めることができる。

原告らは、その期間について、生後一年後の昭和五三年四月一六日から昭和八九年三月二二日まで約三六年間必要とすると主張するのであるが、障害がない場合においても、乳幼児については近親者の看護を必要とするのであるから、障害のために特に看護を必要とする期間としては、六歳から三六歳までの三〇年と認めるのが相当である。その額については、原告花子の収入を年額一五二万二九〇〇円と認定したことに照らし、これと同額と認めるのが相当である。中間利息をライプニッツ方式で控除することとし、本件事故発生日における現価を算出すると、右の年額に係数一一・四七一二(一六・五四六八から五・〇七五六を減じたもの)を乗じて、一七四六万九四九〇円となる。

七  原告太郎及び原告花子の各慰謝料

前記三及び六に認定したとおり、原告一郎には重度の脳性麻痺があり、将来高度の精神運動の発達を遂げることも期待できない状況にあって、それは第一級の後遺障害に該当する。この事実に、《証拠省略》を付加すれば、原告太郎及び原告花子は、原告一郎が被った傷害及び後遺障害のために、原告一郎の生命を失ったにも等しい精神的苦痛を受けた事実を認めることができる。このような事情に照らせば、両名の慰謝料としてそれぞれ三〇〇万円を認容するのが相当である。

八  原告花子の損害の填補

原告花子が被った損害は、前記五及び七に認定したものの合計額一六四九万六二二五円である。原告花子が被告髙橋、日動火災海上及び自賠責保険から合計額七二六万九二三二円の支払を受けた事実は、当事者間に争いがない。この既払分を控除すると、右の損害の残額は九二二万六九九三円となる。

九  弁護士費用

原告らがその訴訟代理人弁護士らに本件訴訟の提起及び遂行を委任した事実は、当裁判所に顕著であり、《証拠省略》によれば、原告らは、訴訟代理人らとの間に、弁護士報酬として、着手金各一〇万円(合計三〇万円)を支払い、成功報酬として認容額の一割を上限とし、原告一郎について最低一〇〇万円、原告花子について七〇万円、原告太郎について三〇万円をそれぞれ支払う。」と約定した事実を認めることができる。

前記六ないし八に認定した各認容額及び本件訴訟の経緯に照らし、原告一郎について一一〇万円、原告花子について八〇万円、原告太郎について三〇万円をそれぞれ認容するのが相当である。

一〇  被告会社の損害賠償額支払債務

原告一郎は、被告髙橋に対し、弁護士費用を除いても五〇七七万七五〇〇円の損害賠償請求権を取得したのであるから、自賠法一六条一項の規定に従って、被告会社に対し、施行令で定められた保険金額の限度において、損害賠償額の支払をなすべきことを請求することができる。

本件事故発生時における施行令の別表等級第一級の後遺障害の保険金額は一五〇〇万円と定められており、これが右の「保険金額の限度」に該当する。

ところで、原告一郎は、被告会社に対し、右の一五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和五六年五月一九日(これは記録上明らかである。)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告会社は、「損害賠償額は一五〇〇万円が限度であり、これに対する遅延損害金を支払うべき義務はない。」と主張する。

なるほど、自賠法一六条一項に定められた「保険金額の限度」とは、填補される損害の最高限度をいうものと解されて、これに異論はなく、また、保険会社が同法三条の規定による保有者の損害賠償責任の存否及びその範囲を認定するについては困難な問題がある。本件においても、《証拠省略》によれば、原告一郎は、本件訴訟の提起に先立って被告会社に対し、自賠法一六条一項の規定による請求をしたところ、被告会社は、原告一郎の被った傷害(当時は狭頭症としていた。)と本件事故との間の因果関係について疑念を抱き、これを調査して、その因果関係が認められないと判定し、その請求を却下した事実を認めることができる。本件訴訟においても、被告会社は、右の因果関係を争い、その存否の立証に関する審理のために長期の時日を要した事実は、当裁判所に顕著である。

しかし、被害者は、自賠法三条の規定に基づいて保有者に対し損害賠償請求権を取得するのとは別個に、独立の権利として、同法一六条一項の規定に基づき保険会社に対する直接請求権を取得するのであり(最高裁昭和三六年(オ)第一二〇六号同三九年五月一二日第三小法廷判決・民集一八巻四号五八三頁、最高裁昭和五四年(オ)第三四号昭和五五年(オ)第四一〇号同五七年一月一九日第三小法廷判決・民集三六巻一号一頁、最高裁昭和五九年(オ)第六九六号同六一年一〇月九日第一小法廷判決・判例時報一二三六号六五頁)、その直接請求権は、被害者の保護という社会政策的理由から、法が特別にこれを定めたものと解するのが相当であるから、保険会社の損害賠償額支払債務は、期限の定めのない債務として、被害者から履行の請求を受けた時から遅滞に陥るものと解するのが相当である(前記最高裁昭和六一年一〇月九日判決。なお、前記最高裁昭和五七年一月一九日判決は、保険金額が一〇〇〇万円であった時の死亡事故について、損害賠償額九九四万七六五九円に訴状送達の日の翌日からの遅延損害金一一〇万一〇五四円を加算した一一〇四万八七一三円の支払債務があると判示している。)。したがって、被告会社の主張は、これを採用しない。

一一  そうすると、結論は次のとおりとなる。

1  原告一郎の被告髙橋に対する請求は、五一八七万七五〇〇円及び弁護士費用を除く五〇七七万七五〇〇円に対する本件事故の日の翌日の昭和五二年四月三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であり、これを認容すべきであるが、その余は不当であるから、これを棄却すべきである。

2  原告一郎の被告会社に対する請求は、すべて正当であり、これを認容すべきである。

3  原告花子の被告髙橋に対する請求は、一〇〇二万六九九三円及び弁護士費用を除く九二二万六九九三円に対する訴状送達の日の翌日の昭和五六年五月一七日(これは記録上明らかである。)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であり、これを認容すべきであるが、その余は不当であるから、これを棄却すべきである。

4  原告太郎の被告髙橋に対する請求は、三三〇万円及び弁護士費用を除く三〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日の昭和五六年五月一七日(これは記録上明らかである。)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であり、これを認容すべきであるが、その余は不当であるから、これを棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(判事 加藤一隆)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例